• ファイザーはなぜ驚異のスピードでコロナワクチンを開発できたのか 不可能を可能にした6つの要因 アルバート・ブーラ :ファイザー CEO 2021.06.10 Harvard Business Review
    • 2月になると、このウイルスが世界各地に広がるであろうことは確実になり、ファイザーはそれを防ぐための中心的役割を果たさねばならないと確信した。すでにビオンテックとは、同社の中核技術であるメッセンジャーRNA(mRNA)をインフルエンザワクチンに使うため、提携関係にあった。
    • ビオンテックを創業したトルコ系ドイツ人夫妻、ウール・シャヒンとエズレム・テュレジの2人は、mRNAを使ったコロナワクチンの開発方法をすぐさま思い付き、社内でその作業を進めていた。彼らは3月1日、当社のワクチンR&D部門の責任者カトリン・ジャンセンに電話をかけてきて、ビオンテックで開発中の20前後あるワクチン候補のテストにパートナーとして参画する気はないかと打診してきた。もちろん我々はその気でいっぱいだった。
    • 両社のコラボレーションが始まるのと同じ頃、新型コロナウイルス感染症も爆発的に広がり始めた。3月11日には世界保健機関(WHO)が正式に「パンデミック」を宣言。
    • 3月13日には「5つの計画」を発表し、当社や製薬業界の大手他社が協力してコロナウイルスとの戦いに勝つための指針を示した。
    • (1)知見とツールの共有。たとえばウイルススクリーニングやその他のモデル、それに関連したデータおよび分析内容など。
      (2)ウイルス学者、生物学者、化学者、臨床医、疫学者といった、専門知識を持つ人材の有効活用。
      (3)中小の製薬会社に対し我々(大手製薬会社)の持つ医薬品開発の専門知識を提供。当社がビオンテックに対して行っているのと同様に、複雑で手のかかる臨床段階や承認手続きがスムーズに進むよう支援。
      (4)承認を得た(新型コロナ用の)治療法やワクチンを製造するために当社の製造能力の提供。
      (5)連邦機関と協力して将来の伝染病に素早く対応するための科学者たちによる緊急対応チームを設立。
      2020年3月16日、当社の経営陣はいよいよビオンテックと共同で新型コロナウイルス感染症のワクチン(および治療法)の開発──それは30億ドルもの出費を意味する──に踏み出す時期だと決定した。ちなみに、一般的なワクチン開発プランは10億ドルから20億ドル超の費用と最大10年の時間がかかる。
    • 私は、患者数が再びピークを迎えると見込まれていた2020年秋までにワクチンを完成させるよう強く求めた。
    • 決定の翌日、ファイザーとビオンテックは仮契約書に署名した。ビオンテックの持つ画期的なmRNA技術と、当社の持つ研究、調整、製造、流通の各能力とを組み合わせようという合意である。金銭がらみの細目は後回しにして、とにかくスピードを最優先しよう──。最有力のワクチン候補から順番にテストしていくという通常のやり方ではなく、複数のワクチン候補を同時並行で進めることにした。財務的には高リスクになるが、より短期間で結果が出る。政府からの資金援助はお断りした。研究者がお役所仕事に追われて時間を浪費するのを避けたかったからだ。
    • 製造チームは、ワクチンが用意でき次第、数万回分のテスト用ワクチンと数億回分の本ワクチンとを世界中に届けるための準備を整えていた。
      大きな問題となったのが、4つのワクチン候補のいずれであっても、成分を変化させず効き目を維持するには、マイナスの温度で保管しなければならないことだった。当社のエンジニアたちは、病院や診療所に届ける数千回分のワクチンを一度に収納でき、低温のまま輸送・保存できるケースの開発に取りかかった。そして、遠隔地からも内部の温度を確認でき、GPS追跡装置も備えたケースを7月までに完成させた。
      いよいよワクチン候補を一つに絞り込むと、我々は(ワクチン承認を待たずに)前もって製造に取りかかった。治験が成功するという前提で、150万回分のワクチンを製造、冷凍保存し、早ければ9月にも出荷できるよう準備を整えた。当然ながら、もし治験に失敗すればすべてを破棄しなければならない。
    • 研究者や製造チームは超特急のスケジュールに間に合わせるため、かつてないほど仕事をし、全社員が公的にも私的にも巨大なプレッシャーを感じていたが、それでも我々がけっして見失わなかったことが一つある。それは、科学的に可能な速度を超えてはならないということだ。
    • こうして10月末までに我々がワクチン候補(もしくは偽薬)を投与した治験ボランティアは4万3538人に達し、その中で新型コロナに感染したのは94人だけだった。これがきっかけで11月8日に外部調査機関によるデータ評価が行われ、たいへん喜ばしい結果になった。新型コロナに感染した94人は、ほぼ全員が偽薬を投与されたグループに属していたのだ。ワクチン候補を投与されたグループは、ほぼ完璧に感染から守られていた。ウイルスに接触した可能性は偽薬グループと同じだけあったはずなのに、だ。このデータ評価の結果が各国の規制当局に伝えられ、ワクチンが承認されると、ついにワクチンの出荷ができるようになった。
    • 前例のないワクチン開発から得られた6つの学び
      • 最も重要なこととして挙げられるのは、「成功とはチームワークの結果である」ということだ。当社およびビオンテックの一人ひとりが──上級幹部から製造や輸送部門の一般社員に至るまで──このワクチン開発の成功に寄与している。
      • 2つ目の学びは、「目標を最優先にしても採算が取れる場合もある」ということだ。新型コロナワクチンは、財務上の大きなプラス効果を当社にもたらしたが、これは投資リターンをいっさい考慮しなかったからこそ実現できたものである。民間部門は、社会の大問題を解決するために努力すべき責任を負っている。民間部門がその義務を果たさなければ、我々に未来はない。
      • 3つ目の学びは、「正しい目標に向けた壮大なる挑戦は組織を活性化する」ということだ。6カ月でワクチンを開発するというスケジュールを最初に私が提案した時、研究者たちは懐疑的だった。だが、最終的には不可能を可能にする方法を見つけ出したのである。
      • 4つ目の学びは、「巨大な目標を掲げた時は、それを実現するために必要な『従来の常識を破る考え方』をするよう働きかけねばならない」という点だ。過去にうまくいったやり方では、新しい現実にうまく対処できない。我々は、繰り返し彼らに4、5、6番目の案を要求した。しかもこれまでにない案を、だ。彼らはその要求を受け入れた。
      • 我々が成功できた5番目の要因は、研究者に財政面の心配をさせないようにした点と、過度の官僚的事務作業から彼らを解放した点にあると思う。当社の取締役会は、新型コロナワクチンの開発が高リスクの試みだと認めつつも、これを成し遂げることの重要性を理解し、必要なだけ出費できるよう金銭面のゆとりを与えてくれた。
      • 最後の6番目の学びとしては、「喜んで協力することの大切さ」が挙げられる。とりわけ危機の際はそうである。前述の通り、新型コロナウイルス感染症をめぐる当社とビオンテックの協力体制は最終契約書なしで始まった。それどころか、2021年になるまで提携内容の細目も決まっていなかった。
    • 新型コロナやがんのような大きな害悪に打ち勝つには、一つの大きな科学エコシステムとイノベーションネットワークに各自が貢献する、という意識を持つ必要がある。ビジネス界はその科学エコシステムとネットワークを強化できるし、そうするよう強く主張してもいいと思う。
    • 最高に困難な課題にぶつかるまでは、自分たちにどれほどのことができるのか、誰にもわからないものだ。
 
  • 感染対策の遅れは「『見立て』の習性」 日本人の欠点を歴史学者らが指摘 2021.6.7 08:00 週刊朝日
    • 磯田:分厚い中間層を持つことが日本の強みになっていたのは、1980年代までです。識字率が高く、マニュアル通りに上手に物事をこなす人々が工場型経済を支え、「1億総中流」、有配偶率の高い均質的な昭和の家族社会を実現した。原型は、江戸時代の小農民自立でつくられ、背後には「家意識」があったわけです。ところが今や、異なる経済段階に入り、日本人の均質・横並び・指示待ち体質が衰退要因にもなっています。例えば娯楽やサービス業では、「他と異なる」ことで価値が生まれます。人種・ジェンダー・知識・趣向の雑多性、多様性が競争力の源になるわけです。教育面から根本的に変えていかないと、衰退は止まらないでしょう。
    • 古川:こんな危機になってもまだ「変わらない」「変えられない」理由は何だとお考えですか。
    • 磯田:それは、日本人の「見立て」の習性です。それも事実やリスクを直視せずに、都合よく安易な方向にみなしてしまう傾向がある。戦時中は「神風が吹く」。クリーンエネルギー推奨時は「原発事故は起きない」。コロナも同様です。Go Toキャンペーンでも五輪開催でも、「感染は広がらない」と見立てて既存路線を変えない。日本人が勝手に見立てても、ウイルスは物理現象。感染は起きます。現に変異株も日本国内に広がっています。コロナ対策では現実をみて嫌でも苦しくても実効ある新しい手を打つべきです。
 
  • 新型コロナについての法的対策の変遷-感染症法と特措法の改正と運営 2021年06月04日 ニッセイ基礎研究所
    • 政府は2020年1月には政令指定を行うことによって、新型コロナに感染症法を適用することとした。感染症法では感染経路を追跡する積極的疫学調査や患者に対する入院勧告・措置が行えることとなっていた。2020年3月13日には特措法の改正が行われ(翌14日施行)、政府や地方自治体の感染予防対策の法的な根拠が明確になり、緊急事態宣言も出すことが可能になった。
    • 感染拡大はその後も収まらず、2020年4月7日には東京都をはじめ7道府県を対象として緊急事態宣言が発出された。第一次の緊急事態宣言は第二次と比較すると厳格なものであり、接待を伴う夜の店や大学、体育館、劇場・映画館などに営業停止要請が行われた。他方、感染者の急増に伴い病床の確保が課題となった。病床の確保にあたっては、従来の感染症指定医療機関とは別に、都道府県が重点医療機関を指定して患者を受け入れてもらうこととした。また、軽症者は自宅待機あるいはホテルでの療養が要請されることとなった。
    • 2020年5月末に緊急事態宣言が解除された後は小康状態が続いていたが、2020年の年末にかけて感染が再拡大した。結果、2021年1月7日に第二次の緊急事態宣言が発出されることになったが、飲食店の営業時間短縮やイベントの開催も人数制限にとどめるなど第一次よりも緩やかであった。第二次緊急事態宣言は3月中に解除された。
    • 2021年の通常国会では感染症法と特措法の改正が行われた。改正感染症法では積極的疫学調査の拒否や入院措置の拒否などに過料が課せられるようになるなどエンフォースメントが強化された。改正特措法は、第二次の緊急事態宣言並みの措置を行うまん延防止等重点措置が制度化した。あわせて、緊急事態宣言では営業停止命令を出せることとし、命令違反には過料を課すなどの制度を導入し、緊急事態制限でとれる手段の強化が図られた。
    • 第二次緊急事態宣言解除後、変異株などの影響もあり、感染再拡大が起こった。政府は先の国会で成立した特措法のまん延防止等重点措置で対応しようとしたものの、感染拡大が収まらず、第三次の緊急事態宣言発出となった。直近では新規感染者数が減少傾向にあり、またワクチン接種者数も1000万人を超えてきている。とはいえ、変異株の詳細もよくわかっていない。現在の法律が本当にベストなのか、議論を続ける必要がある。
 
  • 生態学:ヒトと家畜とコウモリが生み出すコロナウイルスアウトブレイクのホットスポット
    Nature asia 2021年6月1日
    • 森林の分断化が大きく進み、畜産業が野生生物の生息地に侵入している地域では、コウモリからヒトへのコロナウイルス感染が促進される可能性があることを報告する論文が、Nature Food に掲載される。
      食料生産、都市化、森林伐採を原因とする人為的な土地利用の変更によって、野生生物の生息地が脅かされ、ヒトと野生生物の接触が増えている。アジアのキクガシラコウモリは、ヒトに感染する可能性のあるSARS関連コロナウイルスを保有していることが知られている。ヒトと野生生物との相互作用の増大が新規疾患のアウトブレイク(集団発生)を引き起こすという仮説が提起されているが、この仮説を裏付ける定量的証拠は得られていない。
    • Maria Cristina Rulliたちの研究チームは、2000年からアジアのキクガシラコウモリの分布に関するデータを収集しており、対象域は西ヨーロッパから東アジアまでに広がっている。Rulliたちは、このコウモリ種が生息する地域(2850万平方キロメートルを超える地域) における森林被覆、農地分布、家畜密度、住民の人口、住民の居住地と土地利用の変更に関する空間データの分析により、将来的にSARS関連コロナウイルスのアウトブレイクのリスクがあるホットスポットを特定した。こうしたホットスポットは、主に中国国内に位置しているが、インドシナ諸国とタイにも存在しており、森林の分断化が大きく進んでいて、家畜密度と人口密度が他の国々よりも高い。
    • これらの知見は、野生生物の生息地を畜産用農地に転換することが、ヒトと野生生物の相互作用を促進し、病原性を有する可能性のあるSARS関連コロナウイルスを保有するコウモリとヒトが相互作用する確率を高めるかもしれないことを示している。コロナウイルスが野生生物からヒトに感染する状況を解明することは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)などの疾患の将来的なエピデミック(大流行)やパンデミック(世界的大流行)を予測して、回避するために重要である。
  • 新型コロナウイルス感染症流行下における医療と公衆衛生を取り巻く法政策の動向 王子野麻代 日医総研 日医総研リサーチエッセイNo. 105 2021 年 4 ⽉ 13 ⽇
    • 今回の新型コロナウイルス感染症対応を検証し、その教訓から今後の感染症危機管理法制のあり方を検討する必要があるが、まずはその前提となる事実関係の整理が必要である。 そこで本稿では、新型コロナウイルス感染症流行下における医療と公衆衛生を取り巻く法政策のうち、法改正等が行われた主要な事項について事実関係の整理を行った。
    • 1章 感染症対策に係る主な関連法
         1.1 主な感染症関連法
         1.2 主な感染症関連法における新型コロナウイルス感染症の適⽤根拠
      2章 新型コロナウイルス感染症流⾏下の医療と公衆衛⽣を取り巻く法政策の動向
       2.1 新型コロナウイルス感染症の位置づけ
       2.2 ⽔際対策
       2.3 医療提供体制
       2.4 新型コロナウイルス感染症に係るワクチン接種
       2.5 感染症と偏⾒差別 
      3章 おわりに
      巻末 コラム
       感染症と偏⾒差別 −ハンセン病患者家族訴訟−
 
  • スピルオーバー  ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか デビッド・クアメン 著 甘糟 智子 訳 出版年月日    2021/03/31 明石書店
    • ウイルスたちはなぜ、いつ、どこで、いかに種を超え人間へと飛び移り、大惨事をもたらしてきたのか。異種間伝播(スピルオーバー)を通じて爆発的に広がった疫病の実態とそれに挑戦する人々の苦闘を、徹底した現地取材を通して辿る世界的ベストセラー。
    • 【「訳者あとがき」(甘糟智子)より一部抜粋】
      本書は自然科学系のルポルタージュを数多く手掛ける米国人作家・ジャーナリストのデビッド・クアメン氏が、米誌『ナショナルジオグラフィック』の企画で行った「人獣共通感染症」をテーマとする数年がかりの取材をまとめ、2012年に発表したSpillover: Animal Infections and the Next Human Pandemicの完訳版である。米国では出版時にベストセラーとなり、米科学著述者協会(NASW)の科学ジャーナリズム賞(Science in Society Journalism Award)や英国王立生物学会の図書賞(Science in Society Journalism Awards、一般生物学部門)を受賞した。ここへ来て、2019年末以降のいわゆる「新型」コロナウイルスの流行によって原書が再び世界の注目を集め、今回、日本語版登場の運びとなった。
 
  • 明治日本の海港検疫〜水際作戦の歴史〜 沖縄国際大学総合文化学部准教授◆市川智生 海洋政策研究所 Ocean Newsletter 第492号(2021.2.5 発行)
    • わが国では江戸末期以降、海外諸国との通商を背景として、コレラがたびたび大流行していた。1877(明治10)年秋、西南戦争の帰還兵がもちかえったコレラを水際でくい止められずに、全国的流行へと発展していった事態を受けて、明治政府は検疫法令の作成に着手することになった。水際における検疫にもさまざまな試行錯誤の歴史があったことを紹介したい。
    • 西南戦争コレラ事件
      • 日本における検疫の歴史は、明治の初めにまでさかのぼる。長崎、横浜、函館、神戸、新潟などの開港場を拠点に国際貿易が行われるようになった時期は、中東、ヨーロッパ、アフリカ、中国大陸などでコレラが猛威を振るう第四次世界大流行(パンデミック)のさなかにあった。西南戦争のあった1877(明治10)年は、中国南岸のアモイから長崎へと伝播しつつあったコレラの流行だった。多くの兵士が行き交う長崎で、政府軍将兵たちはつぎつぎとコレラに斃(たお)れていったのである。そして、長崎から輸送船で大阪へと引き揚げる将兵の間からもコレラ感染者は続出した。その通報に接した大阪の陸軍事務所では、神戸港沖での停船措置を命じ、帰還兵の上陸を禁止した。
      • 反乱軍の鎮圧に成功した政府軍将兵は、神戸港で上陸禁止命令を伝えた医務官の説得に応ずることなく、神戸から大阪への行軍を強行したのだった。神戸と大阪では多くの帰還兵がコレラを発症し、1,000名以上の将兵が大阪に開設されていた陸軍臨時病院へと収容された。それだけではなく、京阪神地方の市街地に宿泊する将兵から市民へとコレラが感染し、全国的流行へと発展していったのである。
    • 検疫と国際関係
      • 1877年の検疫の失敗とコレラの蔓延という事態を受けて、明治政府では検疫法令の本格的な作成に着手することになった。ただし、想定されていたのは日本国内の港湾を移動する船舶ではなく、海外から日本の開港場へと入港する船舶への検疫だった。
      • 当時、ヨーロッパ諸国の間で数年ごとに開催される国際衛生会議で争点となっていたのは、船舶を一定期間停留させることで感染の伝播を防ぐ「停船法」と、特定の症状をみせる船員・船客がいるかどうかを医師が検診し停留は最小限にとどめる「医師検査法」をめぐってのものであった。1878(明治11)年8月末、「医師検査法」に基づく検疫法令を採用することで幕を閉じた。ところが、翌年春にはじまるコレラの流行を受け、同年7月に明治政府が発令した「海港虎列刺病予防規則」は、流行地から日本の開港場に入港する船舶に対して、沖合で7日間の停船を規定する内容となっていた。
      • 「海港虎列刺病予防規則」をつきつけられた欧米諸国は、それまでは外務省の検疫会議に自国の医師を派遣するなど協力姿勢を示していたが、一転して懐疑的な態度をとるようになった。1879(明治12)年7月、香港を出港し神戸経由で横浜へ向かっていたドイツ船ヘスペリア号が、日本の検疫官の制止を振り切って、停泊期間中に横浜へ入港する事件が発生した。感染症の来源がどこにあるのかという点に注目する時、コレラは海外から輸入されるものだという島嶼国日本の発想は、欧米諸国にとっては全く受け入れられないものだったことを、この事件は示している。
    • 検疫をめぐる方針転換
      • 1882(明治15)年6月、新たにコレラの流行が警戒されるなかで発令された「虎列刺病流行地方ヨリ来ル船舶検査規則」は、わずか五カ条からなるものだった。停船時間を48時間以内とし、コレラ感染者および疑似症患者がいなければ直ちに入港をさせる旨を明記している点から、医師検査法への転換は明らかであった。検疫に際しての停船措置を最小限に抑えることを条件に、諸外国の外交官に協力を求めることにしたのである。
 
  • 2年目に致死率が上がったスペイン風邪 =100年前のパンデミックに学ぶ= 2021年01月08日 RICOH 客員主任研究員 松林 薫
    • 歴史人口学者の故速水融・慶應義塾大学名誉教授が、1918~1920年に多数の死者を出したスペイン風邪についてまとめた「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」(藤原書店)に基づき、パンデミックの流れを簡単に振り返っておこう。
      • 1918年4月には巡業中の力士たちの集団感染などが報じられ始める。ただ、症状は比較的軽く、気温が上がる7月ごろまでには沈静化した。このころまでの流行を、速水は「春の先触れ」と呼んでいる。
      • 本格的な流行を迎えるのは気温が下がる10月以降。全国で同時多発的に集団感染が発生した。火に油を注いだのが徴兵制度だ。初めて兵役に着く若者が召集されるのが12月1日と決まっていたからだ。大正期の日本で人々が団体行動をする代表的な空間は、学校と工場、そして軍隊だった。近代化が進んだ結果、制度的な「密」が生まれていたのだ。
      • しかしその後、翌年春までにいったん流行は下火になる。理由は定かではないが、気温が上がったことに加え、免疫を持つ人が増えたことも影響したはずだ。
      • しかし1919年の秋以降、再び「後流行」が日本を襲う。特徴的だったのは「前流行」に比べ死者が約12万7000人と半減する一方で、致死率が1.2%から5.3%へと上昇したことだ。速水はこの点について、別の型のウイルスが登場したわけではなく、同じウイルスが変異し、強毒化したためではないかとみる。新聞は「前流行」ほど騒がなかったものの、全国的な流行が断続的に生じ、終息したのは翌1920年春だった。
    • 現時点で最も注目すべき点は「後流行」の存在だろう。これまでのところ、新型コロナ流行の波はスペイン風邪の「前流行」とかなり似ている。そうだとすると、新型コロナも2021年春には下火になる可能性がある。ただ、それが流行の終息を意味するとは限らない。油断すると「後流行」に火が付くかもしれないのだ。