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歴史人口学者の故速水融・慶應義塾大学名誉教授が、1918~1920年に多数の死者を出したスペイン風邪についてまとめた「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」(藤原書店)に基づき、パンデミックの流れを簡単に振り返っておこう。
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1918年4月には巡業中の力士たちの集団感染などが報じられ始める。ただ、症状は比較的軽く、気温が上がる7月ごろまでには沈静化した。このころまでの流行を、速水は「春の先触れ」と呼んでいる。
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本格的な流行を迎えるのは気温が下がる10月以降。全国で同時多発的に集団感染が発生した。火に油を注いだのが徴兵制度だ。初めて兵役に着く若者が召集されるのが12月1日と決まっていたからだ。大正期の日本で人々が団体行動をする代表的な空間は、学校と工場、そして軍隊だった。近代化が進んだ結果、制度的な「密」が生まれていたのだ。
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しかしその後、翌年春までにいったん流行は下火になる。理由は定かではないが、気温が上がったことに加え、免疫を持つ人が増えたことも影響したはずだ。
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しかし1919年の秋以降、再び「後流行」が日本を襲う。特徴的だったのは「前流行」に比べ死者が約12万7000人と半減する一方で、致死率が1.2%から5.3%へと上昇したことだ。速水はこの点について、別の型のウイルスが登場したわけではなく、同じウイルスが変異し、強毒化したためではないかとみる。新聞は「前流行」ほど騒がなかったものの、全国的な流行が断続的に生じ、終息したのは翌1920年春だった。
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現時点で最も注目すべき点は「後流行」の存在だろう。これまでのところ、新型コロナ流行の波はスペイン風邪の「前流行」とかなり似ている。そうだとすると、新型コロナも2021年春には下火になる可能性がある。ただ、それが流行の終息を意味するとは限らない。油断すると「後流行」に火が付くかもしれないのだ。